2020年3月1日日曜日

コロナをきらって

試演会はコロナを嫌って、延期です。人形は仮組みまでできました。ちゃくちゃくと準備は進んでいます。

2020年2月5日水曜日

人形のこころ

   私がマリオネットをひとりで作り始めた20代の頃は、資料がほとんどなく、まったくの我流でした。人形の表情や姿よりも、構造や動きに深い興味があったので、木よりも精密にできる金属で、たいへんな手間ひまをかけて作っていました。とはいえ、「人形は動いてはじめて意味があるもの」という考えでしたから、余計な思い入れをこめず、動きのことだけを考えて我を忘れて作ります。すると顔も姿も、良い人形ができました。調子に乗って「こころ」を込めて作った人形ほど納得がいかず、打ち壊したりしましたが、人形を壊すと、必ず後で後悔するのです。罪悪感から、もう一度作り直してみるのですが、決して同じ人形はできませんし、最初より良くなることはありませんでした。初めの頃は、人体を手本にしていたので、精密に作れば作るほど、糸の数が増えていきましたが、逆転の発想で、たった一本の針金で動かす技も編み出しました。制作に時間のかかる金属へのこだわりを捨て、さまざまな素材で、実験をくりかえしました。新しい素材(もの)との出会いは、おどろきに満ちたものでした。30代なって、堰を切ったように、たくさんのマリオネットがうまれました。ただのロープや布切れ、積み木などの「もの」に糸を一本つけるだけで、実に優美に動きはじめるのです。「こうやって動くのがたまらなく嬉しい」と、人形が喜ぶのを感じましたし、人形に「こころ」を感じ始めました。自然な動きの中からでてきた、人形(もの)の「いのち」と「こころ」を大切に思うようになりました。
 70歳になったいま、あの頃につくっていたマリオネットを出してみると、ほんとうに美しく、無垢で可愛いものだという思いが、時の重なりと同様、より深くなっていることに気づきます。その人形たちに新作を加えて、また新たな船出をしようとおもいます。

2020年1月4日土曜日

初心忘るるべからず、

7年前のbbsの記事を再掲します。
「木工ミシンの故障」
愛用していた糸鋸盤のスイッチが断線気味だったのが、いよいよ、うんともすんともいわなくなった。33年前に東急ハンズで、当時の自分としては、大枚はたいて買ったものだ。三鷹に義母のもちものだった古アパートを3部屋格安でかりて、好き勝手にぶちぬいて、劇場を作ってしまった。そんないきおいで、マリオネットを作るのに、必須アイテムでしょと、ハンズでみつけて、即購入したものだった。まさかとはおもったが、メーカーの刻印をネットでしらべたら、まだ健在でした。連休中だったので、メールで、部品とりよせの依頼をいれておいたら、今日返事がきた。
「弊社糸鋸盤をご使用頂き誠にありがとうございます。お客様のお持ちの糸鋸盤ですが、弊社には検査記録が残っていない番号で30年以上前の物と思われます。大変申し訳ございませんが、耐用年数を超えており経年劣化の関係と電気用品安全法により、お持ちの糸鋸盤を修理していただくことがメーカーとしてご対応することができません。大変申し訳ございませんが、更新をしていただく事をお勧めします。よろしくお願い申し上げます。」ということだった。
それで、ゴソゴソ分解してみた。スイッチの断線であることはまちがいない。電気関係のたなをさがしてみた。30年前に買いそろえた、スイッチ類、リレー類、接点類がでてきた。どれもきちんと整理されていて、昨日買ってきたばかりの様にあたらしい。そのなかから、定格、サイズのぴったりなのがでてきた。壊れた部品と、半田で、交換したら、あっというまに、新品のように動き出した。糸鋸盤は鉄の人形から、木の人形へと方向をかえようとしていたときにみつけたものだし、リレー類は自動人形の舞台機構用にとおもって、そろえたものだ。スイッチ類は、舞台機構と照明機構用にゆめを描いて、電気街をうろうろして買いそろえた物だった。30歳当時の、マリオネットに情熱と夢をもって邁進していたころの情熱をおもいだして。こころが疼いた。糸鋸盤は、テレビ人形劇の小道具を作るのに大活躍したものだし、1本づかいの踊り子の人形をつくるのにもかつやくした。この機械でつくった、さまざまなものが、おもいだされた。。。。この10年ほどあまりつかうことがなかったが、あと30年、この機械で、あたらしい人形をいくつも発明してやろうと。初心にかえった私だった。

2019年12月24日火曜日

 人生あれもありこれもあり  

 二十代のころは「自立」がテーマでした。とにかくがむしゃらに働きました。テレビの仕事が殺人的にいそがしく、自分の作品(マリオネット)をつくるひまがなくてあせっておりました。マリオネットで食べていきたいとおもっていましたが、まわりはゆるしてくれませんでした。 テレビで稼いだお金をつぎこんで、ときどき思いつめたように、公演をしましたが、社会的には認められませんでした。 三十代になって、自立だけでは立ち行かなくなって、「共生」ということを学びました。共生だけでもだめ、自立に裏打ちされた共生、社会とのかかわりのなかでの自立、どちらがかけてもだめ、ということを学びました。それでも、テレビとマリオネットの二足のわらじで、ひとの二倍も三倍も働きましたが、なかなかおもったようには認められませんでした。 四十代になって、いきなり実家が火事になり、同時にはじまった父の闘病生活のサポート、そして死、妹の突然死、続けて母の介護と死。人生の後半がこんなに大変だとはおもってもいませんでした。そんな苦しさをすくってくれたのは、妻の献身的な愛とこどもたちの純粋な存在でした。40代半ばをすぎたころから、それまで、するどく相反するものとおもっていたテレビの仕事とマリオネットの仕事が、じつは奥深いところでつながっていることを、感じはじめました。それにつれて、社会的にもすこしずつ、これがヒダオサムの仕事だと いうことが認められるようになってきました。50代になって、これがわたしのテーマだとはっきり自覚できるようになりました。それは「愛」とそれに裏打ちされた「いのち」でした。「自立と共生」、「愛といのち」、30年かかりましたが、たどりついたものは、考えてみれば、もともと自分のなかにあったものでした。 52歳になって、それまでつくりためた人形の集大成として「動物図鑑」を発表しました。公演は大成功でした。順風満帆の船出でしたが、54歳で突然病魔におそわれました。(小腸出血) 3年半の闘病で学んだことは、「希望」と「忍耐」でした。希望は忍耐をたすけ、忍耐は希望をはぐくみます。 人生は、やまあり、谷有り。あれもあり、これもありだとおもいます。これしかないと思わないことが大切です。自分なりのテーマをもってやっていけば、いろんなことに意味をみいだすことは可能です。かならずチャンスがめぐってきます。 あせらずに、ゆっくりと、ひとつひとつ取り組んでいけばいいのだと思います。



コントロールとアンコントロールのすき間

 
  以前アトリエでひとりふたりのひとをまねいて、ちいさな人形で電球一個の照明で積木やロープの人形をみせて楽しんでいた頃、ネットからはいってきた17さいくらいの女の子にみせていたときに、途中からずるずると鼻をすするおとがするのです。おわって、あかりをつけると、かおがくしゃくしゃで、めがまっか、どうしたの?花粉症?ときいたら、おおつぶのなみだをぽろぽろだして、「わたし生きている人形をみたのうまれてはじめて・・」感動でなにもことばがいえませんといってなくのです。その子のいった「生きているにんぎょう」という表現が、ぼくのかんがえているマリオネットにちかいかもしれません。操作者と人形が糸というたよりないものでしかつながっていないこと、いかにもおもいをこめて演技をするのではなく、(コントロール)たどたどしく動くこと、(アンコントロール)そのすきまのところにあやういモノとしての人形の「いのち」がたちのぼるんだとおもいます。そのばあい、人形はさいごまで、モノとしてみえることがとても重要なんだとおもいます。

2019年3月12日火曜日

ワクワクさんは工作の伝道師


造形作家 工作作家ヒダオサムは工作を創作するのが使命、
音楽で言えば作曲家、
ワクワクさんはその工作の作り方と遊び方を表現するのが使命。音楽でいえば演奏家、
どんな名曲も、演奏されなければ、つたわらない。
名プロデューサー田村洋さんの引き合わせで、ふたりが出会って、30周年になります。
ちゃんと大事なところをしゃべりながら、みごとに作り上げて行くワクワクさんの
その荒削りなわざは、ほかの工作作家の追随をゆるしません。
たのしそうに、自分でも作ってみたいとおもわせます。実際につくっているところをみるのが、
一番強いモチベーションになります。ながねんのワクワクさんの努力の賜物です。
満を持した今回のyoutuberデビューは、さすがワクワクさんだと、
つよい印象を感じさせました。捲土重来、進化したワクワクさん、どんなものだ!
だれもまねはできまい。
じつに頼もしい。新作も発表して援護をしてゆきたいとおもいます。
特に、子供達とその親御さん、そして、ワクワクさん世代の若者にもみてもらって、
いっしょに作って楽しんでもらい、いやされたいと思います。

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