2019年12月24日火曜日

 人生あれもありこれもあり  

 二十代のころは「自立」がテーマでした。とにかくがむしゃらに働きました。テレビの仕事が殺人的にいそがしく、自分の作品(マリオネット)をつくるひまがなくてあせっておりました。マリオネットで食べていきたいとおもっていましたが、まわりはゆるしてくれませんでした。 テレビで稼いだお金をつぎこんで、ときどき思いつめたように、公演をしましたが、社会的には認められませんでした。 三十代になって、自立だけでは立ち行かなくなって、「共生」ということを学びました。共生だけでもだめ、自立に裏打ちされた共生、社会とのかかわりのなかでの自立、どちらがかけてもだめ、ということを学びました。それでも、テレビとマリオネットの二足のわらじで、ひとの二倍も三倍も働きましたが、なかなかおもったようには認められませんでした。 四十代になって、いきなり実家が火事になり、同時にはじまった父の闘病生活のサポート、そして死、妹の突然死、続けて母の介護と死。人生の後半がこんなに大変だとはおもってもいませんでした。そんな苦しさをすくってくれたのは、妻の献身的な愛とこどもたちの純粋な存在でした。40代半ばをすぎたころから、それまで、するどく相反するものとおもっていたテレビの仕事とマリオネットの仕事が、じつは奥深いところでつながっていることを、感じはじめました。それにつれて、社会的にもすこしずつ、これがヒダオサムの仕事だと いうことが認められるようになってきました。50代になって、これがわたしのテーマだとはっきり自覚できるようになりました。それは「愛」とそれに裏打ちされた「いのち」でした。「自立と共生」、「愛といのち」、30年かかりましたが、たどりついたものは、考えてみれば、もともと自分のなかにあったものでした。 52歳になって、それまでつくりためた人形の集大成として「動物図鑑」を発表しました。公演は大成功でした。順風満帆の船出でしたが、54歳で突然病魔におそわれました。(小腸出血) 3年半の闘病で学んだことは、「希望」と「忍耐」でした。希望は忍耐をたすけ、忍耐は希望をはぐくみます。 人生は、やまあり、谷有り。あれもあり、これもありだとおもいます。これしかないと思わないことが大切です。自分なりのテーマをもってやっていけば、いろんなことに意味をみいだすことは可能です。かならずチャンスがめぐってきます。 あせらずに、ゆっくりと、ひとつひとつ取り組んでいけばいいのだと思います。