2020年2月5日水曜日

人形のこころ

   私がマリオネットをひとりで作り始めた20代の頃は、資料がほとんどなく、まったくの我流でした。人形の表情や姿よりも、構造や動きに深い興味があったので、木よりも精密にできる金属で、たいへんな手間ひまをかけて作っていました。とはいえ、「人形は動いてはじめて意味があるもの」という考えでしたから、余計な思い入れをこめず、動きのことだけを考えて我を忘れて作ります。すると顔も姿も、良い人形ができました。調子に乗って「こころ」を込めて作った人形ほど納得がいかず、打ち壊したりしましたが、人形を壊すと、必ず後で後悔するのです。罪悪感から、もう一度作り直してみるのですが、決して同じ人形はできませんし、最初より良くなることはありませんでした。初めの頃は、人体を手本にしていたので、精密に作れば作るほど、糸の数が増えていきましたが、逆転の発想で、たった一本の針金で動かす技も編み出しました。制作に時間のかかる金属へのこだわりを捨て、さまざまな素材で、実験をくりかえしました。新しい素材(もの)との出会いは、おどろきに満ちたものでした。30代なって、堰を切ったように、たくさんのマリオネットがうまれました。ただのロープや布切れ、積み木などの「もの」に糸を一本つけるだけで、実に優美に動きはじめるのです。「こうやって動くのがたまらなく嬉しい」と、人形が喜ぶのを感じましたし、人形に「こころ」を感じ始めました。自然な動きの中からでてきた、人形(もの)の「いのち」と「こころ」を大切に思うようになりました。
 70歳になったいま、あの頃につくっていたマリオネットを出してみると、ほんとうに美しく、無垢で可愛いものだという思いが、時の重なりと同様、より深くなっていることに気づきます。その人形たちに新作を加えて、また新たな船出をしようとおもいます。